「ヒンドゥー教とイスラム教」からの引用文

ヒンドゥー教とイスラム教 – 南アジア史における宗教と社会 岩波新書

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 イギリス東インド会社の南アジア制覇は、18世紀の後半から19世紀の中葉にかけての、さまざまな地方的権力の打倒・懐柔という手順を経て完成された。ガンガー中・下流域の権力者たちを破った戦争を手始めに、マイソールの王やデカンのマラータ勢力、あるいはパンジャーブ地方に拠るスィク集団とのあいだの数次にわたる侵略戦争を経て、1877年には、名実ともに「インド帝国」Indian Empireが成立し、イギリスの直接支配が完成した。女王ヴィクトリアは、インドの女皇となったのである。

これらのできごとについては、大抵のインド通史に書かれている。本書の視点に立てば、むしろ、イギリス人たちが、その侵略と征服戦争の過程でヒンドゥーの王権やムスリム支配層に対してどのように対処してきたかということの方が問題である。イギリスの支配は、地域的にはインド亜大陸全般に及んでいて一概にはとらえ難いし、地方的権力に対する対応の仕方や政策も、時と場合によって異なっている。

しかし、さすがに経済的制覇を目指しながら着々とインドの政治的支配をも実現しようとしたイギリス人のやり方は、だんだんと賢さを加えていき、ついには、ヒンドゥーとムスリムの政治的・社会的地位やその歴史的背景を的確に掴んだうえで、驚くほど巧妙な方策を採っている。

※p.178より

侵略するには武力だけでなく文化的背景を理解することが必要。この本ではないけれど、バラモン教や仏教の研究が進んだのも元はと言えば植民地支配の為の文化調査が発端だった、という記述を読んだことがあります。

 

 宗教の違いを起点としてヒンドゥーとムスリムのコミュニティーが成立し、インド亜大陸の各地で、それぞれ別個な集団として、ときには別個の動き方をする。そして、その間に対立関係が見られたことは、既述のとおりである。

しかし、こうしたヒンドゥー・ムスリム両者の対立関係は、宗教の違いそのものが、そのまま、両者のコミュニティーの対立を生んだのではない。共存しつつ、一応、別個のコミュニティーを形成してきたヒンドゥー・ムスリム両集団の一部が、社会・経済あるいは政治の諸面におけるさまざまな要因によって緊張・対立関係に置かれたという点を、もっと注意して見るべきであろう。

その際に無視できないのは、これらの両コミュニティーと直接・間接に関わりを持っていた支配層や権力者の動向である。また、18世紀以降になると、イギリス支配の下で、両集団の分裂・対立を計る政策的意図を含めてのさまざまな要因が新たに両集団の対立関係を激化させることとなったことも、すでに触れたとおりである。また、前章で述べたように、近代のさまざまな環境は、宗教の違いがかつて意味した切実さをも背景に押しやってしまった。

しかしその反面で、新しい近代的要因のなかには、かえって宗教の別を前面に押し出し、宗教集団の対立関係を助長する方向に動くものもあったのである。19・20世紀の宗教の問題は、こうした多角的な側面から考えられる必要がある。

このように見てみると、ヒンドゥーとムスリムの、いわゆるコミュナルな対立関係は、宗教そのものの性格の違いに根ざすものがあったにせよ、現実の社会や政治の場では、むしろ、世俗的、非宗教的な面で見られた集団間のさまざまな利害関係に起因するものであり、それらによって促進されるところが多かったといえるのである。

〈印パ紛争〉〈印パ戦争〉などと呼びならされてきたところの、係争の地カシミールやその他の諸地域に見られた紛争や戦争状態は、しばしば〈宗教戦争〉という名で呼ばれ、ジャーナリズムも、好んでそうしたレッテルを貼ってきた。この同じ言葉が、いわゆるイスラエル戦争や、ユダヤ人とアラブ諸民族とをめぐるさまざまな抗争に用いられ、そこでも〈ユダヤ教とイスラム教〉の対立に還元され、これまた〈宿命的〉という形容詞つきで呼ばれてきたのは周知のことがらである。また、アイルランドにおけるカトリック系市民とプロテスタント系市民の争いにも、〈宿命的な宗教対立〉乃至は〈宗教戦争〉といった表現が、これまでもたびたび使われてきた。

ジャーナリズムが好む刺激や誇張のための表現と受けとれば、文句はないかもしれない。しかし、〈宗教戦争〉というレッテルを貼り、そのうえに〈宿命的〉という形容句までつけるのは、対立関係の真の事実と内容、あるいはその背景や基盤にある社会的・経済的・政治的要因を把握するのを妨げる役割を果すものとはいえないだろうか。南アジアでも、〈宿命的な印パ抗争〉はそのまま〈宿命的なヒンドゥー教徒とイスラム教徒の抗争〉となり、それは、やがて〈宿命的なヒンドゥーとイスラムの対立〉に飛躍し、ついには〈宗教戦争〉というレッテルが貼られる(傍点は筆者→※赤で表現した)。歴史を学ぶものとしては、この間のけじめをはっきりつけたいと思う。それは、アジアの社会の〈停滞〉だけを強調する歴史認識とも相通じるものである。本書執筆の一つの意図もそこのところを明らかにしたいという点にあった。

※p.217より

ちょうど数日前、インドでイスラム過激派と見られる武装集団による同時テロが起きました。情報バラエティ番組では「ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立は避けられないのでしょうか」と報じていました。宗教的対立と片付けてしまうのがマスメディア的にも視聴者的にも最も分かりやすいのでしょう。これは、この本の著者が上記の様に危惧した状況が今も全く変わっていない現れだと思います。

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