リスクセンスを養うということー「リスクセンス」からの引用

リスクセンス-身の回りの危険にどう対処するか ジョン・F・ロス著 集英社 2001年 から、まとめ部分最後の文章を引用しました。

本書では生活に関わる様々なリスクが取り上げられています。それらを調べ尽くした後に著者が至った境地です。

リスクセンスを養うということ

リスクセンスを養ったことで、明らかに逆の証拠を突きつけられても自社の製品は安全だという主張を崩さない企業や、小規模な研究だけである物質が人々を皆殺しにするといった終末論的なことを言う環境団体を、今まで以上に軽蔑するようになった。自分達の主張を認めさせるために恐怖心を煽る企業や、環境活動家、官僚、そして、専門家がお膳立てしたジェットコースターに乗るのは、もううんざりだ。リスクセンスが養われると、情報を話半分に聞き、難問を解決する足場となる道筋が描けるようになった。今は、情報源や表現方法など、リスク情報の背景を知りたいと考えている。例えば、新しい車を探すときは消費者向けの雑誌を見るが、今度は自分がその編集者になったつもりで、製品ではなくリスク情報そのもののメリットを考えてみようという訳だ。すると、前ほど数字に圧倒されたり、これは真実だと信じ込もうとしなくなった。情報を道具として見られるようになって、情報も玉石混淆だと気がついたのだ。

また、健康への害を訴える初期段階の研究にも疑問を持つようになり、追認する研究が出るまで待つようになった。一方、1種類のビタミンやダイエット用の新しい薬を大量に摂るだけで、何にでも効くといった話は鵜呑みにしなくなった。実は1種類の大量摂取の方がもっと危ないと、理解できるようになったのだ。マスコミを飛び交うリスク情報にも、以前ほど振り回されなくなった。健康を維持し、危険を減らすための単純そうだが効果の確実な、実績のはっきりした方法に頼るという基本に戻ったのだ。得体の知れない新しいリスクの心配をするより、家族に野菜と果物をきちんと摂らせることに時間をさくようになった。血圧を下げる努力もしているし、運転中に突然キレる人や過剰なストレスの危険性についても分かったから、車が割り込んできたときは譲る。また、体型の維持を以前より重視するようになった。

リスクの評価方法と捉え方がよく分かったことで、臆病になったりリスクを嫌ったりしなくなった。今でも、人が「危ない」と思うことやリスクを伴う仕事もしている。けれども、リスクセンスが養われたことで、自分の人生におけるリスクの本質がしっかり把握できるようになった。また、リスクに対する自分の寛容さについての認識がよりはっきりしてきた。意識的に下した判断がうまくいかなくても、以前のようにそれを他人や企業のせいだとは思わなくなった。

20世紀の夜明けに、有名なアメリカの歴史学者ヘンリー・アダムズは、新しい世紀に理想的な市民の資質を問うた。1世紀後の今、我々が我々自身に同じことを尋ねたら、個人の資質の上位に来るべきものは、深い知識とリスクセンスを養うことだ。個人あるいは市民として、リスクをどう理解し、どう関わるかは、最終的には、自分が何を心配し、どう責任をとるか、また、我々は誰なのかという存在そのものを反映している。リスクセンスを養うということは、誰も成し遂げたことのない、運命を自分の手で作り出す能力を謳歌することを意味しているのだ。

p.247より

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