立ち位置は懐疑的でもすれ違う超能力研究者

超能力を「学問として真面目に」研究する上でのお話です。

「悪魔の証明」と言われる問題があります。たとえば「月にうさぎはいない」ことはどうやって証明すれば良いのでしょう。

うさぎには酸素が必要です。月には酸素がほぼありません。だからうさぎはいません。

でも、空気がなくても生きていられるうさぎが月にはいるかもしれません。だから、月にうさぎがいないと断言できません。

こういった問題に対して、研究者の立場は二つに分かれる気がします。

一方は、合理的な範囲の科学的知識で演繹する立場です。少なくとも骨格を持ち酸素が要らない生物はいないから、言うまでもなくうさぎがいる訳がない。理性タイプと言いましょう。

もう一方は、あくまでも事実にこだわる立場です。月の探査は不十分なのだから、可能性を閉ざすような結論を拙速に出さなくてもいい。慎重タイプと言いましょう。

理性タイプにとっては、確かだとコンセンサスが得られている超能力実験が一つもないのだから、超能力など存在せず、ありもしない現象を未だに研究のは変だ、と考えるでしょう。

慎重タイプにとっては、超能力研究は手続き上の不備があったり、別の人では再現されなかったりするけれども、超能力の存在を示してるような研究もあり、そういう研究がある限り、研究に値するでしょう、と考えるでしょう。

昨今の超能力研究だと物理学の最先端の仮説が持ちだされていて、言葉は凄そうなので「最新科学で超能力がわかるのかも」と感じる仮説が出されたりします。これが研鑽を積んだ物理学者からすると「僕のお腹が出てきたのは宇宙が膨張してるから」程度の話と見極められてしまったりすることも、話をややこしくしている気がします。

前述の物理学者からすれば「あんな荒唐無稽なことを言っている人の研究など検討の余地もない!」というのだけれど、研究を進めている方からすれば「結果で判断して欲しい!」と言いたくもなるでしょう。さらにその結果というのも、これがまた解釈の余地が残っていて白黒がなかなか付きません。

思っていたより、科学って多数決と時間で決まっていくものだなと感じます。

お互い懐疑的な立ち位置なのだけれど、超能力に対する見通しに関しては、科学とは別の話なのだと思います。

真面目な超能力研究として、とてもおもしろい本をご紹介します。内容は全く「トンデモ」ではありません。